リスク化社会?
こんな記事があった!
特集
きょうだいリスク化社会 新たな「世代内格差」が生まれる
こんなん当たり前とちゃうの?
兄弟であっても違う一個の個人なんだから。
こういうのは格差と言わないで、家族という縛りがより自由化されたと考えるべきでは?
1つの家があって、長男、次男、長女、次女なんて、これは家長制度のもとでの位置関係を示した記号。
兄弟であっても、合う、合わないはあるし、個人として違う。
ただ家族という共同体の中に生まれて来ただけであって、そこからどのように生きていくかは、それぞれ。
経済的な格差だけで、兄弟内格差、家族内格差などと騒ぐのは無意味だ。
どんなにリスクを背負っていこうが、経済的格差が家族内個人にあっても、家族は家族。
お互い助け合あえれば、良いと思う。
それは他人同士の繋がりでも同じなのだ。
現代社会は、家族、親戚、近所、同僚というくくりで人間関係を切り結ぶのではなく、原子のように弾ける個人が出会い、リスクも背負いながら、経済的格差も引き受けながら、それでも認め合える関係、受容する関係を作っていく社会なんです。
偉そうなことを言ってしまいました。